2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧
「オヤジの死に顔を見て、悲しいという思いはなかったです。この数年の中でなぜか、いちばん凛とした顔に見えました。威厳があって、不思議で感慨深かった。涙は出ませんでした」 平成25年(2013)4月14日、急性呼吸不全で亡くなった三國連太郎。 息子の佐藤…
作曲家の小林亜星氏と服部克久氏。 平成10年(1998)、音楽界の大御所の間で「仁義なき戦い」が勃発した。 同年7月30日、都内のホテルで記者会見を開いた小林氏は、5年前に服部氏が作ったテレビ番組の挿入歌「記念樹」が、67年に自身がCMソングとして書いた…
「結婚するのでゴザイマスヨ!」 マルシアと大鶴義丹が入籍したのは、平成6年(1994)12月26日。 大鶴は唐十郎と李麗仙の長男。マルシアはサンパウロ出身の、日系ブラジル女性だ。 2人は翌年1月9日、バンコクでの10日間の新婚旅行から帰国後、成田空港で記者…
私は特別「鉄道オタク」というわけではない。 だが、かつてCSで放送されていた兄弟漫才コンビ「中川家」の礼二がナビゲーターを務める「中川家礼二の鉄学の時間」(MONDO TV)という番組にドハマリし、番組で紹介された千葉県のローカル線「いすみ鉄道」にわ…
90年代初頭、バブル崩壊後の地価下落で不良資産が増大。 住宅金融専門会社(通称・住専)が回収不能となった約6兆5000億円を巡り、日本列島が揺れに揺れたのが、住専騒動だった。 そんな騒動とはレベルは異なるものの、借金返済のために家と車を売り払い、さ…
自称「10万31歳」(当時)の悪魔として、人気を博していたロックバンド「聖飢魔II」のボーカル、デーモン小暮。 そんな小暮が連日ワイドショーで「悪魔の所業」などと報じられたのが、人間界での2人の女性を巡るスキャンダルだった。 コトの起こりは、平成5…
水谷豊主演で平成12年(2000)にスタート後、今年10月でシーズン21を迎え、現在もなお安定した視聴率をキープする刑事ドラマが「相棒」(テレビ朝日系)である。 その水谷がキャンディーズの「ランちゃん」こと伊藤蘭と結婚したのは、昭和64年(1989)1月だ…
平成の時代、世間に大きな衝撃を与えたのが、多くの有名女優たちによるヘアヌード写真集だった。 樋口可南子を筆頭に、小柳ルミ子、大竹しのぶ、島田陽子、石田えりらの大物女優などが大ブームを巻き起こしたものだ。 そんななか、平成5年(1993)年10月、「…
「まだ信じられない気持ちです。今、とてもきれいな顔をして眠っています。何度も起こそうとしましたが、彼は眠ったままで…」 平成20年(1998)5月2日、衝撃の自死を遂げたX JAPANのメンバー、hideこと松本秀人(享年33)。 6日に東京・築地本願寺で執り行わ…
平成2年(1990)に発売されたニッカウヰスキーの「オールモルト」。 そのCMの「女房酔わせてどうするつもり?」というドキッとさせるセリフで、同商品を異例の大ヒットに導いたのが、女優・中野良子だった。 70年代には映画「八つ墓村」(松竹)や「野生の証…
昨年、還暦にして映画「G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ」でハリウッドアクション・デビューを飾った石田えり。 やはり、生まれ故郷である火の国・熊本の血がそうさせるのだろうか。 石田というと忘れられないのが、ミュージシャン・芳野藤丸との「命がけ夫…
昭和49年(1974)にデビューし、「HERO」「安奈」などのヒット曲で知られる甲斐バンドが解散したのは、同61年(1986)だった。 その後たびたび「再結成ライブ」を行ってきたが、平成20年(2008)、ついにバンド活動に終止符を打つべく、「解散ライブ」と銘打…
昭和50年(1975)に主演した「五月みどりのかまきり夫人の告白」(東映)以降、東映と日活で4本の作品に主演。若々しい肉体と大胆な演技で、五月みどりは世の男性を楽しませた。 同58年(1983)には中森明菜の「少女A」にインスパイアされたという「熟女B」…
剣豪俳優として知られた故・近衛十四郎の長男で、数々の豪快伝説を残した「昭和のスター」松方弘樹が、仁科明子と3年間の不貞交際の末、昭和54年(1979)に結婚した。 当時、松方には15年間連れ添った夫人と、その間に生まれた子供が3人いた。 そのため、仁…
お客様は神様です! 昭和の時代、そんなフレーズで「国民的歌手」と言われた三波春夫。 スキャンダルとは無縁に思えた三波が、日本歌手協会から除名処分を受ける、という衝撃的なニュースが伝えられたのが、昭和63年(1988)11月18日だった。 コトの起こりは…
平成26年(2014)11月、肺炎のため62歳で急死──。 伝説のロックバンド「キャロル」元メンバーのジョニー大倉である。 そんな大倉の音楽葬「JOHNNY FOREVER」が、翌27年4月13日に神奈川県の「川崎クラブチッタ」で開催されることに。前日の12日、発起人を代表…
「地下のオーディオルームには、手ぬぐいとか扇子なども置いているんですが、それを入れていた中にご祝儀袋を入れていたのを忘れていたので、改めて申告したんです。父の代からお金に関しては細かいことはやっておらず、いくらもらっていくら使うかなどは大…
「青天の霹靂」とは、まさにこういう時のために使うたとえなのだろう。 おそらく世間にそう思わせたのが、女優・吉川十和子とファッションデザイナー・君島一郎氏の御曹司・明氏との、婚約に始まるドタバタ劇だったのではないだろうか。 吉川は元JALのキャン…
安倍晋三元首相への狙撃事件で、再びにわかにクローズアップされることになった統一教会(現・世界平和統一家庭連合)。 そんな同教会が、連日のようにワイドショーで取り上げられていたのが、今から30年前のことだ。 あの記者会見には、本当に驚かされた──…
かつて「スキャンダルは芸能人の勲章だ!」と言った俳優がいた。 まさにその言葉を地で行くかのように、常に芸能マスコミに話題を提供し続けてくれた女優が島田陽子だった。 島田は昭和46年(1971)にドラマ「続・氷点」(テレビ朝日系)のヒロイン役で人気…
「隠していたわけではなく、いつか話さなければいけないと思っていました。ゴメンナサイ…」 平成6年(1994)4月20日。 映画「月はどっちに出ている」でブルーリボン賞など、数多くの賞を総ナメにした女優ルビー・モレノがTBSでの記者会見で、大粒の涙を流し…
「恋人? ええ、いますよ」 平成3年(1991)3月8日。 東京・赤坂プリンスホテルで行われた、日本テレビの木曜ゴールデンドラマ「朝日の当たる家」の制作発表に出席した名取裕子は、左手薬指にはめている金色の指輪について報道陣から聞かれ、嬉しそうにはに…
昭和57年(1982)に公開された主演映画「さらば愛しき大地」で、日本アカデミー賞優秀主演男優を受賞。 その後も数々の作品で演技賞などを受賞してきた実力派俳優、根津甚八が死去したのは、平成28年(2016)12月29日だった。 根津は同13年(2001)6月、「右…
平成26年(2014)12月29日。 東京・渋谷にあるNHKホールでは「第65回紅白歌合戦」のリハーサルが行われていた。 五木ひろしが紅白に出場するのは、これで通算44回目。 五木が選んだのが昭和46年(1971)に発売、大ヒットした「よこはま・たそがれ」。 作詞を…
生真面目というのか、ただ人がいいというのか──。 野口五郎にはそんな印象がある。 野口がタレントの三井ゆりと結婚したのは、平成13年(2001)2月。 当初、2人の結婚式はマリアナ諸島のロタ島で2月12日に行われる予定だったが、振替休日でサイパンからロタ…
平成12年(2000)2月23日。 私はデヴィ夫人の著書「デヴィのちょっと一言よろしいかしら」(冬青社)発売記念サイン会を取材するため、都内の書店を訪れていた。 当時、デヴィ夫人は、その歯に衣着せぬコメントが大ウケ。 芸能界のご意見番として、ワイドシ…
4万人近い若者たちが、冷たい雨の中で立ち尽くしていた――。 平成4年(1992)4月25日、突然の死を迎えた「10代のカリスマ」尾崎豊(享年26)。 その5日後、尾崎の告別式が東京・文京区にある護国寺で行われていた。 尾崎は死の前日、都内で開かれたイベントに…
美川憲一とともに、NHK「紅白歌合戦」の常連として毎年、その派手な衣装対決が話題だった小林幸子。 紅白33回連続出場という記録を更新中だった小林と、所属事務所「幸子プロモーション」の女性社長との間でトラブルが勃発したのが、平成24年(2012)4月。 …
「家族とわれわれと、みんなで小さなケーキを作り、本人が『鍋が食べたい』というので鍋パーティーをやりました。『自分で作りたい』と水餃子をふるまってくれてね。8月中は、食欲も旺盛だったんですが…。亡くなる一週間前の週末も、本当は帰れる予定だった…
昭和56年(1981)3月31日の後楽園球場コンサートを最後に解散した、ピンク・レディー。 そんな彼女たちが、東京・ビクタースタジオで記者会見し、本格的な活動再開を宣言したのは、平成22年(2010)9月1日のことだ。 記者会見の席上、ミーは、 「今まで何回…