記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

ルビー・モレノ 本当は「じゃぱゆきさん」だった…懺悔告白も「素行不良」で追放

                             

「隠していたわけではなく、いつか話さなければいけないと思っていました。ゴメンナサイ…」

 平成6年(1994)4月20日

 映画「月はどっちに出ている」でブルーリボン賞など、数多くの賞を総ナメにした女優ルビー・モレノがTBSでの記者会見で、大粒の涙を流した。

 デビュー当時、ルビーの略歴は以下のように紹介されていた。

〈マニラ生まれの24歳。フィリピン大学旅行学科を卒業後、21歳の時、観光で来日。稲川素子事務所にスカウトされ、芸能界にデビュー〉

 だが、実際には年齢28歳(1965年生まれ)で、18歳の時に「じゃぱゆきさん」として来日。

 都内の飲食店でダンサーとして働いている時に、3歳年上の日本人男性と「デキ婚」した。長男をもうけたが、わずか1年で離婚。長男は元夫に引き取られた。

 その後、22歳で再婚。

 主婦としての日々を送る中、エキストラ会社にも登録し、芸能界に触れることになる。

 長女を出産するも、この結婚も2年で破綻したという。

「お父さんは軍人だったけど、リタイヤしているし、兄弟は6人。長女だし、貧乏だったから。お金をキープするため、半年だけ『じゃぱゆきさん』をやろうと思って東京に来ました。(フィリピンにいる)娘には体にハンディキャップがあって、大きな病院に入れたから、日本で私が頑張らないと…。いつかは一緒に暮らしたいと思っています」

 時折、声を詰まらせるルビーの姿に、隣にいた女性記者が何度もハンカチを目に当てる。そんなシーンを記憶している。

 ところが、もともと持って生まれた資質なのか、あるいは人気者になって勘違いしてしまったのか。

 テレビ朝日のレギュラー番組の無断欠勤に始まり、TBSの2時間ドラマを撮影初日にドタキャン、大阪でのイベントはフィリピンに帰国して欠席…と、素行の問題が発覚。ついに所属事務所から「契約違反」で告発され、日本の芸能界から「追放」されることになってしまうのだ。

 平成9年(1997)8月、東京簡易裁判所に調停を申請するため、日本に戻ってきたルビーを直撃すると、こう言った。

「今、フィリピンでも映画やテレビに出演しているけど、やっぱり日本で活動したい。でも裁判が終わらないと、日本で仕事ができないからね。終わったら日本で頑張るよ」

 不祥事など過去のこととばかりに、アッケラカン

 そんな物言いに、驚かされたものだ。

 ルビーは平成21年(2009)にも、フィリピンパブ経営者らとの間でトラブルがあり、警察が介入。

 ともあれ、あの会見で涙をぬぐっていた女性記者はその後、なんと感じたことだろうか。