記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

斉藤由貴  報道陣を驚かせた「尾崎豊との小樽密会」超アッケラカン弁明

これまで3度の不貞報道があり、「恋多き女」と呼ばれた斉藤由貴。 「FRIDAYデジタル」で、夫とは別の男性との「恵比寿ランチデート」が報じられたのは、昨年3月のことである。 だが、これはタイトル通り「ただ食事をしただけ」で、前回のようなヤケドを負う…

河合奈保子 捜査一課出動!NHK「銃弾付き脅迫状」事件の顛末

「正直言うと、会ったその日から、この方だなぁと思いました」 平成8年(1996)2月1日、初対面からわずか4カ月でスピード婚約した河合奈保子が、赤坂TBSで金原宜保氏とペア会見を開いた。 河合はそれまで、香港の俳優ジャッキー・チェンとの交際を噂されたこ…

小柳ルミ子「巨額慰謝料」を突き付けた大澄賢也「苦悩の2週間」

「記念日はひとつに統一したほうが覚えやすいし、まあ、その程度です」 平成12年(2000)1月14日、離婚記者会見を開いた小柳ルミ子は、離婚届を提出した日が、結婚記念日と同じ1月6日だったことを質問され、こともなげにそう答えた。 小柳が13歳年下のバック…

松坂慶子 「親子絶縁と骨肉の争い」をもたらした「ニューヨーク婚」の確執

「ウォール街を一緒に歩いていて、色々教えてもらっているうちに、彼がとても頼もしく思えて、急に異性として意識させられたんです。2歳年下だし、弟みたいに思っていたので、いや~、まいったなぁ、って…」 平成3年(1991)1月17日、都内で結婚報告会見を開…

坂口良子 「バブル崩壊で離婚」の悲劇も、借金40億円を10年で完済した「母は強し!」

平成25年(2013)に57歳で亡くなった坂口良子の長女で元タレントの坂口杏里さんが6月8日、インスタグラムで結婚を発表。 杏里さんは同29年(2017)12月に自身のインスタでタレント引退を表明しているが、その後のお騒がせぶりは説明するまでもないだろう。 …

沢田亜矢子 「爪で皮膚をえぐられた」暴露したDV被害のどよめき現場

変な話、私は仕事柄、この三十数年で、芸能人の離婚記者会見を数百回も取材してきた。 とはいえ、人気商売である以上、その大半が原因を「性格の不一致」「嫌いになったわけでなくて」「お互いを尊重して」と、可能な限り、お互いが傷つかないよう繕うケース…

藤谷美和子「プッツン劇場」を盛り上げた「緊急入院」騒動

「100円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで100円は買えません。あしからず」 そんなユニークなテレビCMで藤谷美和子がデビューしたのは、まだ彼女が13歳の時である。 その後、人気ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」「池中玄太80キロ」に出演し、…

赤塚不二夫「タバコをスパスパ、片手に焼酎お湯割り」爆笑ガン闘病報告

「天才バカボン」や「おそ松くん」などのヒット作で知られる漫画家の赤塚不二夫が、新宿区内の自宅で記者会見を開き、自らが食道ガンを患っていると告白。 平成10年(1998)3月27日のことである。 前年12月12日、仕事中に自宅で吐血。 眞智子夫人の運転する…

丹波哲郎 「政治家は見習え」の声も!「隠し子発覚」で飛び出した「霊界理論」珍弁明

昭和・平成の時代には、集まった記者たちをうならせる、型破りな記者会見も少なくなかった。 おそらくその代表格といえるのが、隠し子発覚騒動の際に、お得意の「霊界話」を持ち出し、報道陣を圧倒した丹波哲郎ではなかろうか。 当時66歳だった丹波が会見を…

桃井かおり 「翔んでる女」のバッシング騒動を支えた「国際政治学者の父」との秘話

平成2年(1990)8月のイラクによるクウェート侵攻をきっかけに、国際連合が多国籍軍の派遣を決定。 同3年(1991)1月17日にイラク空爆で火ぶたを切ったのが、湾岸戦争だった。 そんな最中、私は桃井かおりの父である、国際政治学者の桃井真氏に大変お世話に…

忌野清志郎 「急死」で泉谷しげるがブチまけた「棺桶から出してやりますよ」

日本のキング・オブ・ロックンロールと言われてきた忌野清志郎。 平成21年(2009)5月2日、ガン性リンパ管症のため、58歳という若さで亡くなった。 翌3日、盟友でシンガー・ソングライターの泉谷しげるが、都内で行われた動画サイト「泉谷しげるのコラコラ放…

内田裕也 「女性宅侵入で逮捕」で明かした樹木希林との「不可思議なやりとり」

「相手の女性に関する情報、プライバシーに関することについては、ロックンロールに免じて勘弁して下さい」 交際していた50歳の女性に復縁を迫って自宅に侵入、逮捕された内田裕也が、起訴猶予処分を受けて謝罪会見を行ったのは、平成23年(2011)6月3日であ…

沖雅也 死後に養父が激白!「肉体関係は何の愛情もない、乾いたものでした」

〈おやじ、涅槃で待っている〉 そんな遺書を残して、沖雅也(当時31歳)が、高さ170メートルの新宿「京王プラザホテル」47階から飛び降りたのは、昭和58年(1983)6月28日だった。 翌29日、所属プロダクション「JKプランニング」の社長で、沖の養父だった日…

勝新太郎 「パンツの中に薬物」逮捕劇で繰り出した取調官との「伝説のやりとり」

平成2年(1990)1月16日、ハワイのホノルル空港で、肌着の中に薬物を隠し持っていたとの容疑で現行犯逮捕された勝新太郎。 急遽、ハワイで開かれた記者会見では、 「なぜパンツの中に入っていたか、わからない。今後は同様の事件を起こさないよう、もう肌着…

八代亜紀 目黒の豪邸に呼び寄せた両親が…涙のステージで語った最愛の父への「悔恨」

中学を卒業後、バスガイドとして地元・熊本のバス会社に就職した八代亜紀。 だが、歌を諦めきれない。 そこで熊本市内のクラブで専属歌手になったが、たちまち両親の知るところとなり、15歳で故郷を離れる。東京・銀座で、クラブ歌手として歌うようになった…

アン・ルイス 「パニック障害」「芸能活動休止」告白の舞台裏

80年代のバブル期を象徴する歌として、今でもカラオケなどで歌い継がれる「六本木心中」。 この曲の大ヒットで、アン・ルイスに「ロックの女王」というイメージが定着したのが、くしくもロックミュージシャンの夫、桑名正博との離婚を発表した昭和59年(1984…

キャンディーズ 「私たちは永遠に……」藤村美樹がスーちゃんの葬儀で明かした「約束」

表舞台から姿を消した歌手や俳優、タレントが一世を風靡した後、どんな生活をしているのか。それはファンの興味をそそるものだ。 近年、テレビのバラエティー番組でもよく扱われるようになった「あの人は今」だが、実はこれ、以前は週刊誌の定番企画だった。…

ビートたけし「フライデー襲撃事件」謹慎中にかかってきた高倉健からの電話

ビートたけしが軍団メンバー11人を率いて、講談社「フライデー」編集部に乗り込んだのは、昭和61年(1986)12月9日午前3時過ぎだった。 たけしの長男の私立小学校「お受験」を「フライデー」に掲載され、学校側から入学を断られてしまったこと。 その後も家…

石川さゆり 「女ざかりの32歳」で離婚 醜聞さえも気迫あふれるパフォーマンスに変えた女の情念

「結婚してから正月三が日、実家に帰ったことなどありませんでした。今年の正月、初めて帰った時、あぁこんなにホッとできる空間があるんだと…。こういう結果になったのは、私の家庭人としての至らなさに尽きると思います」 昭和64年(1989)2月23日、東京・…

沢田研二 「仕事がないものですから…」仰天発言の裏で伏せ続けた「田中裕子との関係」

沢田研二が共演者の萩原健一、現夫人である田中裕子らとともに、松竹映画「カポネ大いに泣く」の舞台挨拶会見に臨んだのは、昭和60年(1985)2月16日だった。 無精ヒゲにスーツ姿で壇上に登った沢田は、マイクが向けられると突然、「ア~マ、ポ~ラ」と歌い…

松田優作 死の1カ月前 担当医師と交わした最期の約束とは…

平成21年(2009)8月4日、東京・六本木のアカデミーヒルズで、平成元年(1989)に40歳の若さで亡くなった松田優作の生誕60年を記念したドキュメンタリー「SOUL RED 松田優作」の製作発表記者会見が行われ、妻で女優の松田美由紀が登壇した。 同作は松田の軌…

高倉健 「心底、怒りを感じています」と切り出した「エイズ死説」への猛抗議

北海道を走る留萌線の終着駅・増毛(ましけ)。暮れも押し迫った12月30日、赤提灯が灯る小さな居酒屋に、連絡船の欠航で所在ない男が入っていく。 それは高倉健扮する警察官で、元オリンピック射撃選手。 女手ひとつで店を切り盛りするのは、倍賞千恵子扮す…

夏目雅子 「膵臓障害」発表の不可解…最後まで彼女には伏せられた「本当の病名」

昭和60年(1985)3月19日、私は東京・元赤坂の明治記念館で行われた、夏目雅子の病状に関する報告会見の場にいた。 夏目はこの年の2月、伊集院静氏との結婚後初仕事となる西武劇場(渋谷)での舞台「愚かな女」に出演中に極度の貧血を訴え、緊急入院。 だが…

三浦友和・百恵夫妻 警察出動! 「右パンチに平手打ち」の大乱闘の結末とは

「まだ実感みたいのはないんですけど、これから頑張って育てていきたいと思います。(男の子と聞いて)別にどちらがほしいとか、特別なものはなかったものですから…。ただ、元気にわ~と泣いたので、よかったなぁ。と思いました」 昭和59年(1984)5月6日。…

岡田有希子「ガス自死未遂後の飛び降り死」で判明した「遺書」の中身

昭和61年(1986)4月8日の昼過ぎ、編集部に私宛ての電話が入った。 相手は飲み仲間である某全国紙社会部記者。受話器を取ると、彼がうわずった声でこう話してきた。 「岡田有希子が病院に運び込まれたって、共同(通信)の速報が流れたんだけどさ。何かつか…

松田聖子「涙の破局会見」直後に飛び出したなんだかなぁ…「スタッフ唖然のひと言」

私は昭和57年(1982)から5年ほど、週刊誌で松田聖子の番記者をしていた。 時期的には、彼女が郷ひろみと交際し始めた頃から、神田正輝と結婚して長女・沙也加を出産した少し後まで、ということになる。 郷との結婚が間近と言われていた聖子が緊急記者会見を…

中森明菜 「いちばん信頼できるひとだったから…」彼女を海底へと沈ませた「自死未遂騒動」ライブ中継

中森明菜が東京・六本木5丁目にある近藤真彦の自宅マンションで自死未遂騒動を起こしたのは、平成元年(1989)7月11日のこと。 この日、近藤は大阪での仕事を終え、午後3時55分、羽田空港に到着。麻布警察署によれば、近藤が声をかけると、明菜は「ごめんな…