記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

忌野清志郎 「急死」で泉谷しげるがブチまけた「棺桶から出してやりますよ」

                                


 日本のキング・オブ・ロックンロールと言われてきた忌野清志郎

 平成21年(2009)5月2日、ガン性リンパ管症のため、58歳という若さで亡くなった。

 翌3日、盟友でシンガー・ソングライター泉谷しげるが、都内で行われた動画サイト「泉谷しげるのコラコラ放送局」開局記念の記者会見に出席。

 あまりにも突然だった清志郎との別れについて、沈痛な思いをこうブチまけた。

「あいつの死は受け止められない。似合わないでしょ。僕の中では永遠だし、死なせません。あいつがいて俺が出られた、というぐらいに世話になった。年下だけど尊敬してて、師匠のようだった。ふざけんなこのヤロー、ですね。俺としては好敵手を失いたくない。恩返ししてないのに先に逝くんじゃねー!」

 泉谷と清志郎は、アマチュア時代から約40年の付き合いだといい、

「勝てないんだけどさ、でも強い奴にぶつかっていくのが元気の源だから、責任取ってもらわないと。棺桶から出してやりますよ」

 誰にもどこにもぶつけられない悲しみと怒り、そして虚しさを吐露する泉谷の姿に、メモを取る私の胸も痛くなったことを憶えている。

 清志郎が亡くなってから1週間が経った5月9日。

 前日までの冷たい雨が嘘のように晴れ上がった、文字通りの「雨上がり」の東京・青山葬儀所で開催された「忌野清志郎 青山ロックンロールショー」には、4万人を超える「オーディエンス」が詰めかけた。

 レコード会社スタッフが揃いのTシャツ姿で気ぜわしく行き交う中、駐車場に設置されたスピーカーからは「スロー・バラード」「デイドリーム・ビリーバー」といった往年の名曲が大音量で流れ、その一曲一曲がファンの胸に深く染み入った。

 レコード会社関係者によれば、この前代未聞の「ロック葬」は、

 「景子夫人のたっての希望だった」

そうで、甲本ヒロトが弔辞を述べた後、献花で生演奏の「雨上がりの夜空に」が始まる。

 紙吹雪が宙を舞い、会場からは「清志郎~!」という大きな歓声が上がった。

 ちなみに、一般人の献花は午後2時から。

 当初は午後6時終了を予定していたが、ファンの大行列は青山、六本木方面へと二股に分かれ、最後の弔問客が献花を終えたのは11時ちょっと前だった。

 結局、私とカメラマンは朝8時から15時間にわたり、青山葬儀場で過ごすことになった。

 帰り道に「きれいですね~。やっぱり雨上がりだからかなぁ」と、カメラマンが空を見上げてつぶやく。

 私の目の前には、ジンライムのような月が輝いていた。