記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

芸能人記者会見

スザンヌ おバカじゃなかった! 好感度と仕事を急増させた「絶対に夫を責めない」離婚劇

昔から「子はかすがい」と言われるが、この夫婦の場合、どうもそうはいかなかったようだ。 おバカタレントとして人気だったスザンヌが、元ソフトバンク投手で野球評論家の斉藤和巳氏との離婚を発表し、記者会見に臨んだのは、平成27年(2015)3月18日である…

板東英二 「植毛に7500万円」所得隠しネタの、あまりに寒すぎる言い訳とは…

バラエティー番組などで常々、「毎日、ゆで卵が食べられることが贅沢です」と語っていた板東英二。 その個人事務所が名古屋国税局の税務調査を受け、平成17年(2005)から7年間で約7500万円の申告漏れを指摘されたのは、同24年(2012)12月のことだ。 板東は…

薬師丸ひろ子 誕生パーティーの最後で飛び出した出席者「唖然茫然」の離婚発表!

舌の根も乾かぬうちに、という喩えはこういう時に使うのだろう。 そう痛感したのが、玉置浩二と薬師丸ひろ子の、結婚7年目の離婚劇だった。 平成10年(1998)6月1日、主演するミュージカル「シュガー」(同年9月公演)の制作発表記者会見に臨んだ薬師丸。彼…

桂文枝 「秘密の情事20年」がバレて「芸能マスコミいらっしゃ~い!」のトホホ顛末

おそらくこの報道には、本人も椅子から転げ落ちる勢いで驚いたのではないだろうか。 写真週刊誌「フライデー」が、桂文枝と34歳年下の演歌歌手・紫艶との「20年不貞」をスッパ抜いたのは、平成28年(2016)2月だった。 文枝はこの時、72歳。一方の紫艶は38歳…

藤原紀香 「娘を守ってやりたい!」母親が涙で訴えた「陣内智則の裏切り」一部始終

平成18年(2006)7月に放送されたドラマ「59番目のプロポーズ」で出会い、その後の猛プッシュにより藤原紀香を射止めることになった…といえば、お笑いタレントの陣内智則である。 当時は「格差婚」と揶揄されながらも、若手芸人と有名女優との結婚が吉本興業…

杉田かおる 「酔って男をホテル連れ込み」で飛び出した、唖然茫然の珍釈明

あろうことか、自身のトークショーで結婚したばかりの夫をつかまえ「口が臭い」だの「一人でトイレにも行けない」と言ってみたり、気に食わないから、と、公衆の面前でブチ切れて「回し蹴りを食らわせた」と告白するなど、言いたい放題──。 それが平成17年(…

KONISHIKI ”ベタ惚れ妻”との電撃離婚で言葉を濁した「具体的な理由」

当時、人気モデルとして活躍していたSさんと、平成4年(1992)2月に新高輪プリンスホテルで結婚披露宴を開いた、元大関KONISHIKI。 披露宴には、各界から1600人が出席。その費用は6000万円とも言われ、当日もテレビ中継される一大イベントだった。 KONISHIKI…

インパルス堤下敦 仏の顔も三度まで…3度の交通事故で失った大きすぎる代償

「二度あることは三度ある」とは、よく言ったものである。 睡眠導入剤を飲んで車を運転したとして、警視庁は今年11月2日、お笑いコンビ「インパルス」の堤下敦を、道路交通法違反(過労運転)容疑で東京地検に書類送検した。 堤下は同6月14日午後2時頃、東京…

宮崎美子 TVディレクターと「阪神が優勝したら挙式」も、わずか1年4か月で破局の理由…

知的な女優としてクイズ番組などで頻繁に見かけるのが、宮崎美子だ。 熊本大学法学部卒の経歴に加え、癒やし系の笑顔で親しまれる。令和2(2020)10月には芸能生活40周年を記念し、還暦水着ショットが掲載されたカレンダー&フォトブックを発売。 すると、な…

あき竹城 毒舌料理人との「プロレス的交際宣言」を覆す「ビックリ婚」

「炎の体育会TV」(TBS系)をはじめ、「秘密のケンミンSHOW極」(日本テレビ系)などで、お馴染みだったあき竹城さんが、12月15日に亡くなっていた。 あきさんは2年ほど前から大腸ガンを患い、闘病していたというが、この秋に病状が悪化。本人の希望もあって…

太川陽介 「妻に不貞疑惑」に笑顔でルイルイポーズを決めた、言い知れぬ違和感

世間では「神対応」などと言われたものだが、筆者には、全くの違和感しかなかった会見…それが、妻の不貞疑惑が報道された後、「誰が聞いたってクロだと思いますけどね」と笑いながら、「(本人から)細かく聞いているよ。事情聴取みたいに3時間、4時間」と詳…

梅宮辰夫 5年越しで「アンナ奪還」スポーツ紙に踊った「男泣き!」の文字

ペア写真集を発売するなど、「平成のバカップル」という称号で呼ばれることもあった羽賀研二と梅宮アンナ。 2人が夫婦同然だった5年間の生活にピリオドを打つことを発表し、アンナの父で俳優の梅宮辰夫がTBSで記者会見に臨んだのは、平成11年(1999)3月9日…

華原朋美 復帰会見での「爆弾発言」連発に所属事務所が「聞いてないよ~」の仰天騒動

筆者は高校時代、サッカー部に所属していた。 したがって、社会人になってからも、脚力には多少の自信を持っていた。 しかし、あの記者会見前の全力疾走はさすがに堪えた。 それが平成11年(1999)6月17日、静岡県御殿場で行われた華原朋美の復帰報告会見で…

泉ピン子 これぞ大芝居!夫の不貞で突然読み上げた「バースデーカード」

やっぱり、あの号泣会見は大ウソだったようだ。 泉ピン子が人間ドックの担当医で4歳年下のT氏と、彼の両親の大反対を押し切り極秘入籍したのは、平成元年(1989)7月。 当時、大分にあるT氏の実家を訪ねると、母親は「息子はあの女に奪われたんです。だから…

菅野美穂 「CM消滅リスク」を背負い、あえてヘアヌードになった理由とは?

「芸能界の自分と日常の自分との間にギャップがあり、自分を見失いかけていて。でも、考えても考えても、答えが出なくて。で、1年以上前から、10代の頃の価値観や経験を忘れないように、自分のいいところも悪いところも、写真という記録に残しておきたいと思…

酒井法子 メイクを整え「時間は10分」「質問はNG」に400人報道陣が大ブーイング

かつては清純派アイドルとして人気だった、のりピーこと、酒井法子が、夫とともに薬物を所持していたとして逮捕されたのは、平成21年(2009)8月8日だった。 起訴された彼女が41日ぶりに保釈となり、警視庁湾岸署に姿を現したのが9月17日。 報道陣に対し、深…

宮崎駿監督 「オオカミ少年発言」にファンが歓喜した「引退撤回」の歴史

「何度もやめると言ってきた人間ですが、今回は本気です」 平成25年(2013)9月6日、アニメ界の巨匠で「スタジオジブリ」の宮崎駿監督が、都内のホテルで記者会見を開き、こう言って引退を表明した。 これまで幾度となく引退をほのめかしてきた宮崎氏だった…

笑福亭鶴瓶 生放送で「開チン」騒動勃発! 名誉挽回で読み上げた「5つの誓い」

近年はNHKの「家族に乾杯」に出演するなど、すっかり穏やかなイメージが定着した笑福亭鶴瓶。 だが、かつては過激なトークや物を壊すなどの大暴走で、某テレビ局を出入り禁止になるなど、なかなかのヤンチャぶりで知られていた。 そんな鶴瓶が起こした有名な…

石川さゆり 「女ざかりの32歳」で離婚 醜聞さえも気迫あふれるパフォーマンスに変えた女の情念

「結婚してから正月三が日、実家に帰ったことなどありませんでした。今年の正月、初めて帰った時、あぁこんなにホッとできる空間があるんだと…。こういう結果になったのは、私の家庭人としての至らなさに尽きると思います」 昭和64年(1989)2月23日、東京・…

沢田研二 「仕事がないものですから…」仰天発言の裏で伏せ続けた「田中裕子との関係」

沢田研二が共演者の萩原健一、現夫人である田中裕子らとともに、松竹映画「カポネ大いに泣く」の舞台挨拶会見に臨んだのは、昭和60年(1985)2月16日だった。 無精ヒゲにスーツ姿で壇上に登った沢田は、マイクが向けられると突然、「ア~マ、ポ~ラ」と歌い…

松田優作 死の1カ月前 担当医師と交わした最期の約束とは…

平成21年(2009)8月4日、東京・六本木のアカデミーヒルズで、平成元年(1989)に40歳の若さで亡くなった松田優作の生誕60年を記念したドキュメンタリー「SOUL RED 松田優作」の製作発表記者会見が行われ、妻で女優の松田美由紀が登壇した。 同作は松田の軌…

高倉健 「心底、怒りを感じています」と切り出した「エイズ死説」への猛抗議

北海道を走る留萌線の終着駅・増毛(ましけ)。暮れも押し迫った12月30日、赤提灯が灯る小さな居酒屋に、連絡船の欠航で所在ない男が入っていく。 それは高倉健扮する警察官で、元オリンピック射撃選手。 女手ひとつで店を切り盛りするのは、倍賞千恵子扮す…

夏目雅子 「膵臓障害」発表の不可解…最後まで彼女には伏せられた「本当の病名」

昭和60年(1985)3月19日、私は東京・元赤坂の明治記念館で行われた、夏目雅子の病状に関する報告会見の場にいた。 夏目はこの年の2月、伊集院静氏との結婚後初仕事となる西武劇場(渋谷)での舞台「愚かな女」に出演中に極度の貧血を訴え、緊急入院。 だが…

三浦友和・百恵夫妻 警察出動! 「右パンチに平手打ち」の大乱闘の結末とは

「まだ実感みたいのはないんですけど、これから頑張って育てていきたいと思います。(男の子と聞いて)別にどちらがほしいとか、特別なものはなかったものですから…。ただ、元気にわ~と泣いたので、よかったなぁ。と思いました」 昭和59年(1984)5月6日。…

松田聖子「涙の破局会見」直後に飛び出したなんだかなぁ…「スタッフ唖然のひと言」

私は昭和57年(1982)から5年ほど、週刊誌で松田聖子の番記者をしていた。 時期的には、彼女が郷ひろみと交際し始めた頃から、神田正輝と結婚して長女・沙也加を出産した少し後まで、ということになる。 郷との結婚が間近と言われていた聖子が緊急記者会見を…

中森明菜 「いちばん信頼できるひとだったから…」彼女を海底へと沈ませた「自死未遂騒動」ライブ中継

中森明菜が東京・六本木5丁目にある近藤真彦の自宅マンションで自死未遂騒動を起こしたのは、平成元年(1989)7月11日のこと。 この日、近藤は大阪での仕事を終え、午後3時55分、羽田空港に到着。麻布警察署によれば、近藤が声をかけると、明菜は「ごめんな…