記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

藤原紀香 「娘を守ってやりたい!」母親が涙で訴えた「陣内智則の裏切り」一部始終

                              

 平成18年(2006)7月に放送されたドラマ「59番目のプロポーズ」で出会い、その後の猛プッシュにより藤原紀香を射止めることになった…といえば、お笑いタレントの陣内智則である。

 当時は「格差婚」と揶揄されながらも、若手芸人と有名女優との結婚が吉本興業所属の後輩芸人たちに「人気者になれば、俺も女優と結婚できるかもしれない」という希望を持たせたことは間違いないだろう。

 ところが、十二単と衣冠束帯を纏った大仰な挙式からわずか2年足らずで、2人の結婚生活は破局を迎えることになる。

 しかもその理由が、夫・陣内のたび重なる不貞だというのだから、世間がザワついたのも無理はなかった。

 2人の離婚が、前日に行われたWBCの韓国戦の結果を押しのけ、「スポニチ」「日刊スポーツ」「スポーツ報知」3紙の1面で報じられたのは、同21年(2009)3月19日。

 当日、日本テレビの情報番組「ラジかるッ」に出演した陣内は、別居については認めたものの、さほど切羽詰まった様子もなく「離婚はありませんから」と報道をやんわり否定。

 だが藤原の母親が、兵庫県西宮市内の実家で「離婚のことは口止めされていた」としながら「あまりのひどさに…。女優・藤原紀香ではなく、私の娘として守ってやりたい気持ち。陣内さんは本当のことを言ってほしい」と涙ながらに訴えたことで、事態は一変した。

 離婚の原因となった陣内の不貞について「相手は2人や3人じゃない」と暴露されたことで、上を下への大騒ぎになったというわけである。

 図らずもこの日は沖縄国際映画祭の初日で、吉本興業所属芸人が大挙して沖縄に集結。吉本に連絡するも「関係者不在」という対応だった。

 一方の藤原は前日に、赤十字の広報特使としてケニアに出発しており、その段取りのよさには「完全に藤原の所属事務所主導で仕込まれた感じだね」というのが、芸能マスコミ関係者の一致した見方だった。

 3月24日、東京・新宿の吉本興業東京本部で単独会見を開いた陣内は、100人の報道陣を前に黒のスーツ姿で登場。

「私、陣内智則は、藤原紀香さんと正式に離婚致しました。全ては僕の未熟さ、心の弱さが原因です」

 女性問題があったことを認めると、

「去年の夏ごろに僕の浮気が発覚しまして、その時にもう一度やり直そうという話をしてきましたが、やはり彼女は許せなかったようです。自分の未熟さ、心の弱さで、紀香さんを傷つけてしまいました」

 身から出た錆としか言いようがないが、結婚式で引き出物として手渡されたエッセイ「紀香魂」には「強い意志はすべての道へ通ず」との言葉がある。

 つまり、陣内が思い描く「女遊びは芸の肥やし」論など、最初から彼女には通用するはずがなかったのである。