記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

アン・ルイス 「パニック障害」「芸能活動休止」告白の舞台裏

                          


 80年代のバブル期を象徴する歌として、今でもカラオケなどで歌い継がれる「六本木心中」。 

 この曲の大ヒットで、アン・ルイスに「ロックの女王」というイメージが定着したのが、くしくもロックミュージシャンの夫、桑名正博との離婚を発表した昭和59年(1984)のことだ。

 ところがそんなアンに、病魔が襲いかかる。

 彼女は90年代後半から、一時芸能活動を休止。

 米ロサンゼルス移住から6年後の平成14年(2002)12月22日に記者会見を開き、その理由を自らの「パニック障害」によるものだった、と告白したのだ。

 当日は「マイクが怖いので囲まれたくない」との希望により、テレビは個別収録。会見での質疑応答は紙媒体だけという形がとられた。

 会見でアンは次のように心情を吐露した。

「緊張や心配の度合いが強くなると、まず体が熱くなってきて、首の後ろあたりがむずむずしてくるの。そのうちに動脈が縮まって血の巡りが悪くなって、ふ~と倒れそうになって。で、ここで失神したらどうしようとか、悪いほうに悪いほうに考えていくと、何かが押し寄せてきて、わけが分からなくなってしまって」

 日本でMRICTスキャンの検査を受けたが原因が分からず、その後に訪ねたロスの病院で「パニック障害」と診断され、芸能活動休止に至ったのだという。

 その「パニック障害」を発症させた原因のひとつが「六本木心中」以降の、ハードな曲調への変化だった。

「ロックの女王」として迫力あるパフォーマンスで人気を集めれば集めるほど、「ド派手さ」が彼女のキャッチフレーズとなり、プレッシャーとして重くのしかかったのである。

 平成24年(2012)10月、前夫の桑名が死去。

 桑名はアンと離婚した3年後に、一般女性と再婚した。

 しかし、アンはギタリストやカメラマン、俳優らとのロマンスが囁かれながらも独身を貫き、現在もロスで暮らしている。

 アンがよく訪れていた六本木のクラブ関係者が私に語った、こんな話を憶えている。

「世間ではアンちゃんは離婚して、次から次へと男を変えてきたみたいに言われるでしょ。でも、あれはマスコミが勝手に作ったイメージ。本質は全然、違うのよ。いつも言っていたもの。結婚したいと思っている人としか絶対しないって。『適当に』ができたらいいなって。一度、チャレンジしたことがあったらしいんだけど、全然面白くなかったんだって(笑)。もしかしたら、そんな気真面目さが病気を呼び込んだのかもしれないわね」

 バブル崩壊から30年。

 イケイケの外見とは裏腹に一途な愛を貫く、歌に描かれたヒロインこそ、彼女そのものだったのかもしれない。