記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

小林幸子 「社長解任トラブル」で発覚したドロ沼の「慰労金対決」

                            

 美川憲一とともに、NHK紅白歌合戦」の常連として毎年、その派手な衣装対決が話題だった小林幸子

 紅白33回連続出場という記録を更新中だった小林と、所属事務所「幸子プロモーション」の女性社長との間でトラブルが勃発したのが、平成24年(2012)4月。

 社長は長年にわたり小林のマネージャーを務め、昭和62年(1987)に小林が大手プロダクションから独立する際には、2億円の移籍金を集め、家族以上のような存在だったとされる。

 ところが小林は、そんな社長と女性専務を突然、解任したのである。

 すると一部週刊誌が、その原因は前年に小林と結婚した夫による芸能活動、事務所経営への介入にあると報道。

だが、小林は代理人を通じて「退職の意向を示したのは元社長ら」として、

〈感謝の気持ちから慰労金を支給しようとしたが、元社長らが提示額に納得しなかったため合意には至らず、やむなく解任した〉

 と文書で説明。

 これに激怒したのが元社長だった。

 元社長は早速、マスコミ各社あてに、A4判の紙2枚にビッシリと書かれた文書を送付。

 そこには、小林側から2回に分割して支払いたいとの申し出があったが、

〈その理由は、私が退職時にネガティブな情報を週刊誌などに流すことを疑い、その心配が解消された時期に払いたい、どうしてもここだけは譲れないということでした〉

〈自分の人間性まで疑われたままの状態で辞任することは、いくら慰労金を積まれても私にはできません〉

 と綴られていた。

 そして、この「お家騒動」が連日、ワイドショーで取り上げられることになったのである。

 騒動の影響で、小林は6月に発売予定だった新曲「絆坂」が発売延期になった。

 だが、34回連続紅白出場という悲願達成のためには、なんとしても新曲が必要だと考えたのか、小林側は6月25日、元社長と元専務に6000万円を支払うことに同意。

 27日に記者会見を開き、

「私の配慮が足りず、辛い思いをさせてしまった。申し訳なかったと思います」

 と謝罪した。

 しかし、その後、小林が知人らへ送った

〈お金の問題ではない、とのことでしたが結局はお金でした!〉

 とのメールが漏洩。

 話はこじれにこじれ、結果、11月26日に行われた第63回「紅白」出場歌手発表「枠」に、彼女の名前が入ることはなかったのである。

 当時、取材に答えてくれたレコード会社関係者のこんな言葉を覚えている。

「33年間、小林は毎年この日には、紅白出場祝いを兼ねてパーティーを開いていました。今年はそれもできず、稼ぎ時である年末コンサートチケットも余っている状態だと聞いていますね。彼女にとっては、辛い年末年始になるかもしれません」

 可愛さ余って憎さ百倍。

 そんなたとえを地で行くような大騒動だった。