記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

桜田淳子  統一教会「合同結婚式」参加発覚で吐露した「隠れキリシタン」発言の真意

                                

                              

 安倍晋三元首相への狙撃事件で、再びにわかにクローズアップされることになった統一教会(現・世界平和統一家庭連合)。

 そんな同教会が、連日のようにワイドショーで取り上げられていたのが、今から30年前のことだ。

 あの記者会見には、本当に驚かされた──。

 平成4年(1992)6月30日、場所は赤坂にあるTBS。

 桜田淳子統一教会合同結婚式参加を表明した会見だ。

 内容もさることながら、開始時刻が午前7時30分。

 夜討ち朝駆けなど当たり前とはいえ、会見には早すぎる時間帯である。

 きっかけは、前日のある放送だった。

 日本テレビ系のワイドショー「ルックルックこんにちは」が、統一教会の信者である桜田の姉を自宅でインタビュー。

 その中で、妹・淳子の合同結婚式への参加をほのめかしたのだ。

 放送後、真相を聞くため、桜田の居場所探しが始まった。

桜田は東京・品川で番組のロケ中。所属事務所と交渉すると「記者会見は必ずやります。時間と場所は追って連絡します」となり、その場はいったん収まったかのように見えた。

 ところが待てど暮らせど、事務所からの連絡はない。

 結局、テレビ局と事務所との間ですったもんだの末、朝のワイドショーの放送時間に間に合わせ、会見がセッティングされることになったのである。

 スター街道を進んだ華やかさとは裏腹に、桜田の私生活はかなり複雑だったようだ。

 中学1年の時、6歳上の姉が地元・秋田の統一教会に入信。

 父・金一郎さんは「被害者の会」秋田県会長として、教会と対峙した。

 桜田も「お姉ちゃんを返せ!」と教会に何度も電話をしたことがあった。

 ところが彼女が歌手になるため上京し、姉夫妻と生活をともにするようになると、心境が激変。しだいに統一教会の教えに傾倒していったようだ。

 さて、会見場に現れた桜田は「いつかはこの件をお話ししなければ、と思っていました」と前置きし、胸のうちを吐露し始めた。

「19歳の時、姉の生活を目の当たりにして、自ら求めて入信しました。でも騒ぎを恐れ、隠れキリシタンのようにしてきました」

 合同結婚式についての書類は全て提出済みで、きっぱりとこう言い切ったのだ。

「私も34歳。見ず知らずの相手といっても、価値観が一緒で人生の目的、方向性が同じ人が集まるのだから、不安はありません。(性の儀式についても)教会の教えは愛と性を大切にする。この儀式は正しい家庭生活をスタートする上での厳粛な儀式と考えています。抵抗はありません」

 会見終了後、秋田にある彼女の実家を訪ねると、玄関先に現れた母親は涙声でこう言った。

「連絡はありました…。でも『おめでとう』とは言えないです」

 会見から2カ月後、桜田はソウルでの合同結婚式に参加、人生の伴侶を得た。そして芸能界には復帰せず、現在も都内で専業主婦として生活しているという。

 彼女をデビュー当時から知るレコード会社関係者のこんな言葉が、今でも忘れられない。

「淳子は常に理想を持ち、それに少しでも近づこうと、コツコツと努力する優等生だった。だから百恵や昌子が結婚しても『私は歌と芝居に一生を懸ける』と公言していた。でも、いくら努力しても、彼女が求めていた『青い鳥』は現れなかったのかもしれませんね」

 桜田は姉夫婦の家庭を見て「これこそ理想の結婚だと感じた」と語っている。

 恋愛より仕事をとった彼女の「青い鳥」は合同結婚式で最高の伴侶を得ることだったのだろう。

 が、仕事を失ったことを考えると、なんとも皮肉めいている。