記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

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三波春夫 出演歌手12人カットで自分は3曲熱唱に淡谷のり子ら激怒!「除名」された大暴走「歌謡放送」

 

                          

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 昭和の時代、そんなフレーズで「国民的歌手」と言われた三波春夫

 スキャンダルとは無縁に思えた三波が、日本歌手協会から除名処分を受ける、という衝撃的なニュースが伝えられたのが、昭和63年(1988)11月18日だった。

 コトの起こりは、この年の9月6日。

 中野サンプラザホールで開催された協会主催の「歌謡祭」。

 その模様は後日、「木曜スペシャル」(日本テレビ系)で「歌に歴史あり」とのタイトルで放送されたのだが、なんと出演した歌手30人のうち12人の出演部分がカット。

 代わりに、当日はスケジュールの都合で会場にいなかった三波はじめ、北島三郎小林幸子らのVTRがオンエアされたのだ。

 しかも三波は「チャンチキおけさ」のほか、村田英雄の「王将」、さらに新曲まで披露。

 当日、三波は実行委員長を務めていたのだが、この放送を見て驚愕した会長のディック・ミネ淡谷のり子田端義夫、春日八郎らが激怒する。

 すぐさま緊急理事会が開かれ、全員一致で三波の協会除名が決定したのである。

 同日、記者会見に臨んだ協会副会長の田端は、怒り心頭でこう語った。

「今年は10回の節目で、特別な年。理事会で彼(三波)を信じて実行委員長を任せることになったのですが、台本がなかったので、あれっ、おかしいなと。で、この催しはタイトルに『歌に歴史あり』とあることから『新曲を歌うのはやめよう』と彼が言い出したんです。ところがその張本人が、新曲を歌っているんですからね。テレビを見て仰天しました。しかも12人もの歌手が、放送からカットされている。放映されると思っていたのに映っていなかった歌手は皆、プライドを傷つけられたはず。300人の協会員全員が怒っています」

 そこで、新宿区内のスタジオ前で三波を直撃すると、

「僕のいないところでそんな話をしているのは不思議ですねぇ。協会のために一生懸命働いた人を除名するなんて。それが事実なら、残念ですね」

 三波はあくまでも「歌謡ショーではなく、歌手協会をどう世間にアピールするかを考えてのこと」と強調したが、さすがにその弁明にはいささか無理があるのでは、と感じたものだ。

 ただ、そもそも歌手協会は親睦団体ということもあり、仮に除名されたとしても、自身の歌手活動には支障を来さない。

 だからなのか、協会員からは「確信犯だ!」との声が続出。

 この件で、歌手仲間との間にできた溝はなかなか埋まらず、翌平成元年(1989)、NHK紅白歌合戦に40回目の出場を果たした三波の周囲には、妙にヒンヤリした空気が流れているのを、テレビ越しに感じた。