2022-01-01から1年間の記事一覧
平成5年(1993)5月、有名女性芸能人らによるヘア写真集ラッシュが続く中、山本リンダが都内のホテルで写真集「WANDJINA(ワンジーナ)」の出版記念記者会見を開いた。 3月から4月にかけてオーストラリアと日本とで撮影に臨んだという写真集には、大胆な網目…
「とにかく、お家に帰りたいと思ったんです。だから廊下に出て『日本に帰りたいです』って言うと、スタッフが出てきて『どうしたの?』と…」 CD発売キャンペーンのため、台湾を訪問していた「シノラー」こと篠原ともえ(当時21歳)が、宿泊先のホテルで未明…
SNSの普及により、芸能人が直接、自身の言葉や文章で心情を発信出来るようになったことで、その数がめっきり少なくなった記者会見。 だが、80年~90年代、ワイドショー全盛時代は、各番組に必ず名物レポーターが存在。彼らが伝える悲喜こもごもの話題に、お…
俳優として活躍したのち、朝のワイドショー「ルックルックこんにちは」(日本テレビ系)で13年半にわたり司会を務めてきた岸部四郎が亡くなって、今年8月で2年の月日が流れた。 岸部は昭和44年(1969年)に沢田研二がボーカルを務め、兄・岸部一徳がベースを…
結婚31年目にして「いよいよ不貞夫と決別か」と、このところ芸能マスコミを賑わせているのが、歌舞伎役者・中村芝翫(元・橋之助)の妻・三田寛子だ。 2人は平成3年(1991)11月28日、ホテルオークラで挙式。 その年の6月12日、銀座東急ホテルで行われた婚約…
横浜流星が宮本武蔵を演じる主演舞台「巌流島」が、来年2月から全国8カ所で上演されることが決まった。同作で佐々木小次郎を演じる、歌舞伎役者で俳優の中村隼人は、かつて武蔵役で絶大な人気を博した萬屋錦之介の又甥。 そんなこともあり、中村は、 「宮本…
「ゴングが鳴って、世界タイトル戦が決まった感じだね。幻の右で国会に行きますよ」 平成7年(1995)2月3日夜、東京・中野にある自宅で、報道陣を前に衆院選出馬を表明したガッツ石松は、カメラマンの要望にこたえて、往年のファイティングポーズを決めなが…
今や大相撲だけでなく、安定した解説で、すっかりスポーツキャスターとしての地位を築いた、舞の海秀平。 現役時代には、土俵で繰り出す「猫だまし」や「八艘飛び」など、多彩な動きから「技のデパート」と異名をとった。 そんな舞の海が突然、深夜に記者会…
未練たっぷりの元夫に対し、サバサバした口調で爽快に答える元妻。 そんな対照的な姿が見られたのが、歌舞伎俳優の坂東八十助(のちの三津五郎)と、元フジテレビアナウンサー・近藤サトの会見だった。 2人は不貞の末、平成10年(1998)11月にゴールイン。 …
昼の情報番組「バイキングMORE」(フジテレビ系)では、その歯に衣着せぬ物言いで、人気だった坂上忍。 そんな坂上が、詰めかけた報道陣を前に、憔悴した表情でしどろもどろな会見を開いたことがあった。 平成7年(1995)1月13日、フッション・デザイナー山…
明菜復活──。衝撃的なニュースが、芸能メディアを駆け巡った。 8月30日に突然立ち上げたツイッターと公式サイトで、新たな個人事務所「HZ VILLAGE」設立を発表した中森明菜が、ファンに再始動を報告したのだ。 スポーツ紙の報道によれば、さっそく明菜と旧知…
平成17年(2005)から始まった日曜朝の井戸端会議的バラエティー「はやく起きた朝は…」(フジテレビ系)などで、安定した人気を維持する森尾由美。 その結婚記者会見が同4年(1992)11月9日、麹町にあった日本テレビのGスタジオで行われた。 だがこの結婚会…
「入院中、普通の人なら1本で済む麻酔が効かなくて、3本も打っちゃいました。ほんと、デブは嫌ですね」 平成21年(2009)3月22日に行われた東京マラソンのレース中に倒れ、一時は心肺停止に陥ったタレントの松村邦洋が、退院後の4月3日、ニッポン放送で復帰…
自身が出演する作品の宣伝、あるいはゴシップ記事に対する反論等々、様々な用途で設定される記者会見だが、中には恋心を告白したり、逆に煮え切らない相手にプレッシャーを与える、といった目的で開かれることも少なくない。 後者のいい例が平成9年(1997)5…
平成8年(1996)3月15日に行われた、女優・藤田朋子の「ヘアヌード写真集」を巡る記者会見は、とにかく異質だった。 藤田はこの年の1月、写真家のアラーキーこと、荒木経惟氏とともに、一面銀世界に覆われた岩手県遠野で撮影に及び、本来であればこの日、定…
記者会見には、終始穏やかで「何を聞いてもウェルカム」というものがある一方、逆に最初から最後までピリピリムードで、質問する我々がつい言葉を選んでしまうと、いったものも少なくない。 平成15年(2003)8月28日、テレビ朝日で行われた久米宏の「ニュー…
家族と暮らすために東京・世田谷区内に2億円の豪邸を建築、しかし、ほどなくして妻と娘が家を飛び出し、完成した新居で一人で暮すことになった内野聖陽。 彼がその自宅前で離婚記者会見を開いたのは、平成23年(2011)8月19日朝8時過ぎのことだ。 内野は同18…
芸能人が記者会見を開く際の連絡が、芸能プロダクションからのファックス、というのが常だった時代のことだ。 届いたファックスに、事前に質問事項を記入。用紙を返信して会見に臨んだのが、平成16年(2004)7月1日に行われた、高岡早紀の夫、保阪尚希のそれ…
他の人がやっていても見つからないのに、その人が何かやると、不思議と必ずバレてしまう。世の中には、そんな「間が悪い人」というのが存在するものだ。 平成10年(1998)11月、賭け麻雀容疑で逮捕され、12月2日夜、本人曰く「人生初」の記者会見を開くこと…
昭和59年(1984)6月に全国で公開され、大きな話題を呼んだ映画「天国の駅」。 その制作発表会見がその年の1月23日に東映本社で行われ、主演の吉永小百合と、百恵夫人が妊娠中という三浦友和が出席した。 この映画は、その美しさゆえに運命の歯車が狂い、2人…
平成24年(2012)8月26日、日本テレビ系で放送された「24時間テレビ35 愛は地球を救う」。 そのメイン会場となった日本武道館には、アメリカの国旗を彩った衣装に身をまとい、両手を大きく広げながら、往年の大ヒット曲「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を力強く歌…
詰めかけた報道陣、音楽関係者の数、およそ500人! 平成5年(1993)4月1日、東京・目白の「ホテル椿山荘東京」で行われた、YMOの「再生記者会見」会場は異様な熱気に包まれていた。 そんな中、いささかポンコツなロボットに促された3人が、「今眠りから覚め…
昭和30年(1955)3月に「この世の花」でデビュー、いきなり200万枚のミリオンヒットを記録し、あっという間に人気歌手の仲間入りを果たしたのが、当時17歳の島倉千代子だった。 だが、歌手としての栄光の陰には、常に波乱の人生がつきまとっていた。 25歳で…
制作発表は別にして、記者会見には何か拠所ないような事案が発生し、マスコミ各社から問い合わせを受けて個別対応ができないため会見となる、というパターンが多い。 特に事案がスキャンダルの場合、記事が出る前に事務所が会見を開くことがある。 本人の口…
「オヤジは、自分は何を言われてもええけど、家族のことを言われたら怒りはる人でした。こっちが『謝れ』言うてから謝りに来るくらいなら、謝ってもらわんでもエエ」 平成8年(1996)1月25日、故・横山やすし(享年51)の初七日法要の後、報道陣の囲み取材に…
映画「老後の資金がありません」や「科捜研の女 劇場版」(共に令和3年公開)をはじめ、数々のドラマや舞台で活躍する実力派女優、若村麻由美。 そんな彼女が都内のホテルで記者会見を開き、宗教団体「釈尊会」会長の小野兼弘氏との結婚を発表。平成16年(20…
「あれほどの男が恥を忍んで、私に頭を下げてきたんだからね。貸さないわけにはいかないじゃないの!」 以前、取材した浅草「ロック座」名誉会長・齋藤智恵子さんは、こういって苦笑いした。 彼女が言う「あれほどの男」とは、俳優の若山富三郎を指す。 齋藤…
これまでに何度か触れたと思うが、80年代のテレビ局は、NHKを除いてほぼ出入りが自由だった。 もちろん、受付もあり、警備員も常駐しているのだが、当時は社名を名乗り、訪問先を告げれば、たいてい入局が可能だった。 そのため、芸能記者になりたてのころは…
昭和58年(1983)に「ギザギザハートの子守唄」でデビューするや、瞬く間にトップバンドに上り詰める。 藤井フミヤを中心とした7人組グループ、チェッカーズだ。 グループでドラムを担当し、クロベエの愛称で親しまれた徳永善也が舌ガンのため死去したのは、…
現在はお笑いタレントとしてだけでなく、画家や書家、そしてヨガ実践家としても活動する片岡鶴太郎だが、彼がブレイクするきっかけが「小森のおばちゃま」の愛称で親しまれた映画評論家、小森和子のものまねだった。 小森は1909年の生まれというから、明治42…