記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

やしきたかじん 再婚プロポーズの言葉は「さして!」爆笑毒舌記者会見

                               


 山崎まさよしがコンサートで8曲しか歌わず、あとはトークで繋いだことで勃発した「払い戻し騒動」をめぐり、キャスターの辛坊治郎がラジオ番組で、こう提案した。

やしきたかじんさんのコンサートは、観客が歌ではなくトークを聴きにきていた。山崎さんも、たかじんさんのコンサートを目指した方がいいんじゃないですか」

 トーク重視へのキャラ変更を勧めたのである。

「東京」や「やっぱ好きやねん」などが大ヒットしたたかじんは、コンサートではほぼトークに終始し、逆にそれが大人気に。

 司会者としても歯に衣着せぬ物言いで「浪速の視聴率男」と言われた。

 そのたかじんは64歳という若さで、2014年1月3日に静かに息を引き取った。

 ところがたかじんの死後、その闘病生活を描いた作家・百田尚樹氏の書籍「殉愛」(幻冬舎)をめぐって、名誉を傷つけられたとして、たかじんの元マネージャーが百田氏と版元に損害賠償を求めるなど、大騒動になった。

 関西にこだわり続けてきたたかじんは、1980年代に一度、東京に進出。

 だが水が合わなかったのか、すぐに大阪に戻るが、1992年に再び「ビートたけしがナンボのもんじゃい」とばかりに、東京でレギュラー番組「M10」を持つことになる。

 ここで「大事件」が起こった。

 生放送の料理コーナーで「味の素」が用意されていないことに激高したのだ。

 セットを壊し、スタッフを殴るなど大暴れ。「こんな腐った番組、辞めたらぁ!」と捨てゼリフを残し、スタジオを退出した。

 その際、筆者も番組関係者を取材し、記事を書いたことがある。

 そんなこともあって1994年2月9日、「たかじんnoばぁ~」収録後に再婚記者会見を開くとの一報を受け、ブッ飛んだ発言を期待しつつ、大阪読売テレビに向かった。

 たかじんは21歳で結婚。1女をもうけるも、27歳の時に離婚。以降、16年にわたり自由気ままな独身生活を送ってきた。

 そんな彼が選んだのが、15歳下で和服専門ファッションモデルのH子さんだった。

 2人の出会いは7年前。たかじんは言う。

「昨年の正月、東京へ仕事に行く予定だったんですが、風邪やら仕事やらで本番中に倒れまして。救急車で運ばれて、医者から『連絡先は?』と言われて『あ、連絡するとこないな』と。それがきっかけやったんです」

 日ごろの強気で過激な物言いはどこへやら、照れまくるたかじん。自身はバツイチで「俺は結婚せぇへんぞ」と宣言していたというのだが、

「プロポーズの言葉? そら『さして!』で決まりですわ。浮気は公認、門限は朝8時まで。家内は今でも(結婚したことを)悩んでるん違うかな。昨年のうちに結婚できんかったら、道路で死のうと思ってましたから、これで安心して死ねますわ」

 最後は得意の毒舌で会場を沸かせてくれた。

 その軽妙なトークの中に、東京に背を向け続けた男の、シャイな素顔を垣間見たのである。