記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

なべおさみ 「替え玉受験騒動」で、たけしが断言「やかんはダメなら即クビ」

                              

 平成3年(1991)4月に世間を騒がせた「明治大学替玉受験合格事件」。

 その主役となったのが、タレント・なべおさみの長男で、「たけし軍団」の一員として知られる、なべやかんだった。

 大学側が行った受験票と学生証写真の突き合わせにより、二部商学部に合格した2人が受験していないことが発覚。

 結果、大学は2人の入学を取り消し、代わりに受験した浪人生と、事件に関与した関係者を私文書偽造などの罪で、神田警察署に告訴したのだった。

 5月1日、緊急会見を開いた父親のなべによれば、コトの起こりは前年の同2年。

 なべが出演する新宿コマ劇場の楽屋に、50代半ばの紳士が訪ねて来たことから始まった。

「長男が浪人中だと話すと、『明治に入れりゃいいんじゃないの。名刺1枚くれる?』と。正月が明けたころ、その人から電話があり『書類揃えている? 推薦だからどこにするかはこっちに任せてね。話は上手くいっているから』と名前も言わずに電話を切った」

 3日後、指定された受験書類と受験料計18万円を添え、コマ劇場に持って行ったなべは、それを20代の男性に手渡した。

 その後、紳士からはなんの連絡もなかったが、突然、明大から合格通知が届き、驚いたのだという。

「私が明治大学出身で、たまたま多少名前が売れて、『明治大学明治大学』と言っているので、そのことの恩恵をこういう形で返してくれているのかな、という感覚しかなくて…。知人からお祝いをもらい、自宅でも、我が世の春という感じで赤飯まで炊いて祝いました」

 とはいえ、相手の素性も調べず、報酬の要求もなかったというなべの説明は、常識的に考えても理解できない部分が多く、結局、なべのウソが発覚。

 こうした騒動の結果、なべは東京ガスのCMを降板させられることになったのだった。

 だが、捨てる神あれば拾う神あり。

 渦中の長男は芸名を『なべやかん』として、7月14日放送のフジテレビの深夜番組「北野ファンクラブ」でデビューすることになったのだ。

 番組冒頭、たけしはこう語った。

「本人が来るって言うんだけど、オイラ、替玉じゃないかと思っているんだ。もう少し、早く事件があって(自身が主演する)『浮浪雲』に出てくれたら、視聴率8%取れたのになあ」

 これにはスタジオ内が大爆笑に包まれた。

 だが当時、私がオフィス北野関係者に話を聞くと、こんな答えが返ってきた。

「まだド素人ですからね。最初はボーヤとして、お茶くみや雑用をしてもらいます。給与は5万円。殿いわく、今は客寄せパンダですが、タレントとしてダメならクビ、となべさんに対して、はっきり伝えているようです」。  

 やかんは、平成30年(2018)3月、たけしの「オフィス北野」退社と同時に事務所を退社。

 現在も「替玉」に頼ることなく、芸能界で活動している。