記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

沢田雅美 育ての親に反旗を翻した「渡鬼女優」の引退騒動と同棲男の大暴言

                               

 かねてからテレビ関係者の間で「嫁いびりをする小姑役を演じさせたら日本で5本の指に入る名優」として高い評価を得ていたのが、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)に出演していた沢田雅美だ。

 ところが1995年4月、そんな沢田をめぐって「芸能界から追放」「女優引退」「行方不明」等々、なんとも物騒なタイトルの記事が、新聞や雑誌で一斉に報じられることになったのだ。

 発端は同年1月16日深夜、沢田が育ての親でもあり、「渡鬼」プロデューサーでもある石井ふく子氏への電話だった。

 3月の明治座、5月と6月の芸術座、9月の名鉄ホールでの舞台降板を申し入れ、その際に「女優を辞めてもいい」と発言。

 さらに途中で電話を代わった同棲相手の俳優(現在の夫)が酒に酔った勢いで、大暴言を吐いたというのだ。

 それが、

「おい、テメエ、大プロデューサーさんよ~ッ! 雅美は俺の女だから、仕事ができなくなっても俺が食わせるからいいんだッ」

 というものだったらしい。

 石井氏は山岡久乃をはじめ、池内淳子長山藍子泉ピン子ら女優軍団を率いる石井ファミリーのドン。

 しかも14歳でデビューした沢田は、彼女を母親のように慕ってきただけに、たちまち大騒動に発展することに。

 これを受けて4月18日、東京・飯田橋のホテルで記者会見に臨んだ沢田は、

「実はいろいろなところから『石井先生が2人を別れさせようとして、彼の仕事を干している。別れないなら、雅美も切ると言っている』という噂を耳にしまして。先生がそんなふうに思っているのなら、石井先生の仕事はこちらからお断りしようと考え、電話して降板を伝えました。先生からは『そんなことしたら女優としてダメになっちゃうよ』と言われたのですが、『それならそれで仕方ありません』と申し上げました。彼に電話を代わりましたが、彼はお酒を飲んでいて、会話の内容までは聞いていないのでわかりません」

 しかし、2月11日に石井氏と面談したという沢田は、

「ひとつひとつ石井先生にうかがったところ、それが心ない噂であることがわかりました。私がバカでした」

 そう石井氏に深く謝罪したというのだが、これに黙っていなかったのが、石井ファミリーの面々である。

「相手の男性の顔が見たいですよ」(森光子)

「どうしたの、何があったの、と言いたいですね」(赤木春恵

 脚本家の橋田寿賀子氏にいたってはひと言、

「そういうバカな男に惚れてついていくんだったら、地獄までついて行けばいいでしょうね」

 結局、沢田は3月をもって「渡鬼」を降板。

 その後11年間、石井ファミリー作品に出演することはなかったが、2005年3月に突如として「渡鬼」の第7シーズン最終回に登場。以後、第8シリーズからはレギュラーとして返り咲くことになった。

 はたして11年の間に何があったのか。実に興味深いところである。