記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

向井亜紀  「代理出産」後の戸籍訴訟で「怒りを覚えた」最高裁判決

                              

 タレントの向井亜紀が、神田正輝とともにMCを務める「朝だ!生です旅サラダ」(テレビ朝日系)のレギュラーを、3月25日放送回で卒業すると発表した。

 平成5年(1993)4月の番組開始当初から30年間、同番組に出演してきた向井。

 しかし、番組出演と並行したその年月は彼女にとって、まさに葛藤と闘いの日々だったのではないだろうか。

 向井は「旅サラダ」が始まった翌6年(1994)に、格闘家の高田延彦と結婚。

 35歳で子供を授かるも、妊娠時の検査で子宮頸ガンが見つかり、このままでは命に危険が及ぶとして、子宮を全摘出。

 ただ「子供を守れなかった」との思いから自分自身を責める日々が続き、体力、気力ともに衰弱していく。高田に離婚をもちかけたこともあったという。

 そんな時に希望の光となったのが、主治医から告げられた「代理出産」という選択肢だった。

 向井は記者会見で「高田の遺伝子を残したい」と語り、同14年(2002)8月に夫婦で渡米。

 ネバダ州の病院で二度の失敗を経て翌15年(2003)、三度目の挑戦で妊娠に成功した。

 代理母出産を公言する彼女には共感する声もある一方、「しょせん金持ちしかできないこと」「合法的ではない」という風当たりも強かった。

 筆者がそんな向井を取材したのは、その年の10月3日。産婦人科医や研究者らを前に行われた、日本着床受精学会主催の特別講演だった。

 代理母が妊娠24週に入ったことを明かした向井は、

「今、赤ちゃんの周りには、大きくなるのを一緒に見守っているご家族がいます。彼女(代理母)は、もうすぐ35歳。彼女のいちばん下の5歳の男の子もクラスメートたちに『僕のママが亜紀とノブのために赤ちゃんを妊娠しているんだよ』って言っていて、クラスのみんなが知っているようです」

 改めて、代理母出産が認知されたネバダ州と日本の現状との乖離を訴えた。

 その秋、双子の男の子が誕生。翌年1月14日、帰国した2人は満面の笑みで会見を開き、双子の写真と共に「万里 結太」と書かれた色紙を披露した。

 と同時に、ここから夫婦の前に立ちはだかったのが、法律という名の大きな壁だった。

 というのも、日本の法律では母親と認められるのは「出産した女性」のみ。

 そのため、品川区役所に出生届を提出するも、書類は「預かり」となる。

 結果、子供たちの戸籍をめぐる争いは高裁、最高裁と3年の歳月を経て、平成19年(2007)3月23日、最高裁により「不受理」となって結審した。

 判決後の会見では「ガッカリしたし、怒りを覚えました」と唇をかんだ2人は、双子を日本の国籍に入れることを断念。

 米国籍のまま、日本での生活を余儀なくされた。

 筆者もこの判決に「家族になることを決めるのは、いったい誰なのか」を考えさせられたひとりだが、そういう意味でも、夫妻が日本の生殖医療業界に投じた一石は大きかったのである。