記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

篠ひろ子 夏目雅子の墓前に語り掛けた「明日、入籍します。私でいいでしょうか」

                               

 今月18日午後1時、東京會舘伊集院静氏のお別れの会が行われ、元環境相小泉進次郎衆院議員を始め、作家北方謙三氏、作家大沢在昌氏ほか、和田アキ子近藤真彦、騎手武豊、元広島監督山本浩二氏、元競輪選手中野浩一氏ら約400人が参列した。

 エッセー「大人の流儀」シリーズなどで知られる、作家の伊集院氏が亡くなったのは昨年11月。享年73。

 肝内胆管ガンと診断され、治療していた中での訃報だった。

 筆者も1990年代初頭、同氏とは何度か酒席でご一緒させていただいたことがある。場所は六本木にあるスナック「インゴ」。

 同行した編集者が伊集院氏の立教大学の後輩で顔見知りとあり「こっちに来て一緒にやらないか」と声をかけられたのがきっかけだった。

 昔のことなので、何を話したか憶えていない。

 ただ、忘れられないのが「とにかく頭で考えたらダメ。頭で考えるものは、タカが知れているから」という言葉。

 要は発想や思考というものは、経験と知識から生まれるもの。だから20代の君が考えていることなんて所詮、知れている。ならば他の人が及ばない発想や思考を得るためには現場に行き、見て、聞いて、感じること。それしか方法はないんだよ、と。

 むろん若造だった筆者が1を聞いて10を知ることはできなかったが、あとになってその言葉の本当の意味を知ることになった。

 ものの数十分で人を魅了する天性の「人たらし」である伊集院氏が女性にモテないはずはなく、当時も女性の噂が絶えなかった。

 のちに妻となる篠ひろ子と知り合い、結婚を決意した舞台が、実はこの店「インゴ」だったと聞き、驚いた。

 伊集院氏は前妻と離婚後、1984年に夏目雅子さんと再婚。

 ところが翌年9月、夏目さんが結婚1年目にして他界する。

 1988年からは、京都の芸者・Kさんと半同棲生活を続けてきた。篠とはもともとゴルフ仲間で、同時に飲み仲間のひとりだったそうだが、夏目さんの7回忌が終わった1991年の暮れ、偶然にもこの店で対面。

 朝まで飲み明かしたことで、友人から「男と女」を意識する関係になったという。

 1992年8月7日、1時間半の時間差をつけ、2人は別々に記者会見に臨んだ2人。

「40過ぎても、2人とも籍が空いていた。抱えている過去を、大人は口にするもんじゃない。彼女は切ないことのわかる女性。これだけ問題を抱えた男だからね。つくづく俺も悪い男だなと思いますよ」

 伊集院氏がそういえば、篠も、

「雅子さんには墓前に『明日、入籍します。私でいいでしょうか』と報告しました。44年間生きてきて本当によかったなぁ、と思いました」

 結婚した2人は1996年に、仙台市に移住。

 以降、篠が表舞台に出てくることはほとんどなくなっていた。

 久々に彼女が発表したコメントが、夫の早すぎる死を伝えるものになってしまうとは…。篠は所属事務所を通じて、こんな心情を綴っている。

「自由気ままに生きた人生でした。人が好きで、きっと皆様に会いたかったはずですが、強がりを言って誰にも会わずに逝ってしまった主人のわがままをどうかお許しください」

 弱みを見せるのは愛する女房だけでいいんだよ。それが伊集院氏の貫いた「流儀」だったのかもしれない。

三原じゅん子 暴行事件後に恋人とは破局、入籍3日後には「骨折&車クラッシュ全損」の波乱

                              

 現在放送中のドラマ「不適切にもほどがある!」(TBS系)で、昭和から令和へタイムスリップした阿部サダヲ扮する主人公・市郎と、高2の娘・スケバン純子(河合優実)の会話にちょいちょい登場する三原じゅん子ネタが、SNS上で盛り上がっている。

 5話では「下町の三原じゅん子って言われてる」と言う市郎に対し、将来の純子の夫・ゆずる(古田新太)が「いま国会議員です」と返すと「ええっ!? 三原じゅん子が!?」「ウソだ! セクシー・ナイトだよ!」。すると、ゆずるが「2007年にコアラ改めハッピハッピーと…」と説明。

 このシーンに対し、三原本人もSNSに「ん?…私が出てきた!笑」と投稿。

 6話でも「な、わけないじゃん。ウチらの憧れ、アバズレの祖先・山田麗子だよ。『顔はやばいよ、ボディやんな』の山田麗子が政治家? ありえない!」というセリフが登場する。

 現在、参院議員である三原が大ヒットドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)でツッパリ少女・山田麗子を演じて人気者になったのは1979年。

「顔はやばいよ」というセリフは、同級生をリンチする場面で、彼女が発したものだ。

 だが、実は三原、私生活でも恋人のミュージシャン男性とのツーショットを撮影されたことに腹を立て、2人揃って「フライデー」のカメラマン2人に殴る蹴るの暴行。

 全治1週間の傷を負わせて目白署に逮捕されたことは、よく知られる話だ。

 しかも馬乗りになって殴る最中、「この野郎! てめぇなんか、ぶっ殺してやる!」という怒号が深夜の住宅街に響き渡ったとの報道も。

 ボディだけでなく、顔にも数発のパンチが炸裂したようだ。それが1987年4月2日未明のことである。

 だが、なんのことはない、その男性とはほどなくして破局。その後、3度の結婚を繰り返すことになる。

 そんな恋多き女の素顔が垣間見えたのは、1990年10月25日に行われた、レーシングドライバー・松永雅博との1回目の結婚と妊娠を報告する「ダブルおめでた」会見だったように思う。

 この時、三原は妊娠2カ月。

「彼のためにも、丈夫な赤ちゃんを産みたい。できれば男の子がいいな、2人の子供ならF-1レーサーになれるかもって、彼も言っているんです」

 そう満面の笑顔で語っていた三原。

 しかしそんな願いもむなしく、会見からわずか2日後、彼女は授かった小さな命を失ってしまうのである。

 それでも悲しみを乗り越えるように、2人は11月5日に入籍。

 入籍の喜びを語る予定だった11月8日の記者会見当日、なんとサーキットで練習中、車がクラッシュし左肩甲骨を骨折。車が全損するというアクシデントが勃発した。

 それでも、

「予定通り入籍して、これで『松永順子』になりました。流産したことはとても悲しいこと。でもこれからは彼に寄り添って、助け合ってやっていきます」

 そう気丈に語っていたのである。

 しかし、さすがは山田麗子、じゃなかった、三原じゅん子

 会見から9年後の1999年5月には、松永氏と離婚する。

 その半年後、お笑い芸人のコアラと再婚するも、2007年に再び離婚。

 2016年には元秘書で24歳下の中根雄也氏と再々婚を果たすことに。

 女優からアイドル、カーレーサー、政治家…。そして、恋多き女性である彼女の今後に期待したい。

宮川大助・花子 「ホンマにやったんか」「やった、やった」爆笑&涙の浮気騒動

                              


 これぞまさに「浪速しゃべくり漫才」の真髄。

 いや~、掛け値なしで本当に素晴らしかった。

 2019年に血液のガンの一種である多発性骨髄腫と診断され、闘病中だった宮川花子が「宮川大助・花子」として2月下旬、久々に「笑点」(日本テレビ系)に登場した。

 車椅子に座る花子と並んで、大助も椅子に腰かけたまま繰り広げる「私、宮川花子。そしてこちら、大谷翔平です。結婚したのが1976年4月9日で…なんと48回忌!」で始まった恒例の夫イジリに一気に引き込まれ、気が付くとテレビの前で腹をかかえて大笑い。

 そんな自分に驚くと同時に、この2人の職人っぷりに脱帽したのである。

 花子がステージに立つまでには、それこそ口に出せないような、辛く厳しい道のりがあったはずだ。

 彼女が病名を公表したのは、2019年暮れのこと。

 だが、2022年10月には心肺停止状態で救急搬送され、3日間も意識不明で生死を彷徨ったという。

 実は花子の体に最初に胃ガンが見つかったのは1988年。2人はコンビ活動を一時休止し、花子はその後5年間、入退院を繰り返すことになる。

 疑心暗鬼な日々が続く中、夫婦関係も次第にぎくしゃくし始めた頃、降って湧いたのが、花子の不倫報道だったのである。

 記事によれば、不倫相手は後輩芸人「ベイブルース」の高山知浩で、花子の浮気がバレて大助との間で離婚かという大喧嘩が勃発した、というのである。

 1995年7月19日、揃って記者会見に臨んだ2人は、

「お前、ホンマにやったんか」

「やった、やった。そやけど、やっぱりアンタがいちばんええわ」

 お約束の夫婦漫才からスタートである。

「騒がれているのは、花子が胃の腫瘍摘出手術を受けた頃の話。本人はガンやないかと怯えていて、絶望感もあって、弟子や若手芸人とよう夜中まで飲み歩いて、僕が『ええかげんにしろ!』って怒鳴って喧嘩したことがあり、それが誤解されたんやと思います」

 大助はそう説明したのだが、当時、花子は大助の言葉に耳を傾けず、大助がとった行動が、

「花子をハダカにして、自分もハダカになって『お互い、ハダカ同士で話し合おうやないか』と、花子をどつきました」

 そう語る大助の目には、溢れんばかりの涙。そんな夫の姿に花子も大泣きだった。

 そして夫婦の間に笑顔が戻った1993年10月、術後5年が経過した花子が医師から告げられたのは「100%ガンの転移はない。もう大丈夫」。花子は言った。

「その時、初めてガンだったと知らされて…。私は今まで何やってたん、何も教えてもらわんと…と言いたくなったんやけど、この5年間、主人は悩んで、私と一緒に闘ってきたんやなぁと」

 それから二十数年、山あり谷あり。だが、神様はまたも2人に試練を与えたのだろうか。2019年12月11日、大阪市内で揃って記者会見を開くと、

「大助を見送るまで、絶対に生きる」

 と花子が涙ながらに誓う。その横で、

「僕、好きなんですよ、嫁ハンがね」

 と微笑む夫。「笑点」で大爆笑しながら、ふとこの記者会見のシーンが蘇り、なんだか胸が熱くなった。

沢田研二 「ライブ1時間15分前にドタキャン」で吐露した、「客席がスカスカだったから」の意地

                            


沢田研二、ツアー千秋楽の異変『歌詞間違い連発』『難聴・視力低下を告白』…弱気発言にファン騒然」

 そんな物騒なタイトルが付いた「女性セブン」の記事を、2月初旬に目にした。

 1月にのライブツアー最終日、歌い出しで何度か歌詞を間違え、MC中に「(自分は)難聴だ」「体温計のピッていう音が聞こえないから、ずっと脇に挟んだまま」と語ったとして、記事には「見ているこちらがハラハラしちゃったよ」と心配する70代男性ファンのコメントが添えられていた。

 確かにかつてのライブでも曲途中に歌詞が出てこなくなり、演奏を一時中断。

「もう一度やらせてもらいます」と再演奏したことがあるが、ジュリーも今年6月で御年76。超人でもない限り、体の衰えは否めない。

 しかも、多少フレーズを間違えてもごまかせるギタリストと違い、そうもいかないのがボーカリストの辛いところだ。

 17歳でザ・タイガースのフロントマンとしてステージに立ってから、約60年。自信とプライドを持って、コンサートに臨んできた。

 ところが、だ。

 そのプライドを懸け、さいたまスーパーアリーナで開催予定だった公演を突如、ドタキャン。

 詰めかけた報道陣を前に、自宅近くの公園で記者会見を開き、心情を吐露したのは2018年10月18日だった。

 コンサート当日、イベント会社から集客9000人と聞いていたジュリー。

 しかしリハーサル時に、客席の一部が座れない状態になっていたことを不審に思って尋ねると、実際の客入りが7000人だったことが判明する。

 沢田いわく、

「リハーサル前にモニターを見て『なんだこれは!』となって。客席がスカスカな状態でやるのはアーティストにとって酷なこと。『ライブをやるならいっぱいにしてくれ、無理なら断ってくれ』といつも(事務所やイベンターに)言ってきた。なのでこの状態ではできないと思い、中止は自分で決めました。僕にも意地がある。でも、ファンの方にはご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。責任は僕にあります」

 コンサート開始の1時間15分前に帰ってしまったことはプロとしての意地だった、としつつも、ファンに対しては何度も頭を下げた。

 とはいえ、このドタキャン騒動が報じられると、「プロならやるべき」、さらに「勝手にしやがれ!」をもじって「勝手にしすぎ」と猛批判が巻き起こる。

 とはいえ、このドタキャン騒動しかり、歌詞間違え報道しかり、その一挙手一投足が報じられるのも、スターの証なのではないか。

 コンプライアンス重視と言われる今、本物のスターがいるかどうかは知らないが、ジュリーにはいつまでもやんちゃで、ありのまま自由で、過激でいてほしい。

 1980年代、連日のようにジュリーが乗るガンメタリックのBMWを追跡した、あの頃を経験した者としては、そう願ってやまないのだが…。

広田レオナ 同じ相手と2度の結婚と離婚…元夫・吹越満との「ヘンな夫婦」の内情

                               

 それこそ10人いればみんな姿形が違うように、夫婦の形もそれぞれだ。

 とはいえ、同じ相手と2度結婚し、2度とも離婚。

 それでも繋がりが切れない不思議な関係を維持しているのが、広田レオナ吹越満ではないだろうか。

 2人の間には女優として活動する咲耶という娘がいるが、広田が2月18日にXで、

〈昨日17日は吹越さんの59歳の誕生日 娘と2人で銀座でディナーですって〉

 と、元夫が娘と食事に出かけたことを報告。さらに、

〈前厄ですね ドンマイ〉というコメントを添えた、プレゼントを持つ吹越の写真を目にし、現夫婦同様、元夫婦の形というのも十人十色なんだろうな、と改めて感じたものだ。

 2人は1994年に結婚。

 11年目にして離婚し、その7年後に再婚した。

 そして4年後にまた離婚、という不思議な生活を送ってきたのだが、筆者が広田の離婚会見を取材したのは、2006年12月16日。

 つまり1回目の時である。

 実は1994年の電撃婚の際、吹越と劇団「WAHAHA本舗」の先輩にあたる久本雅美との熱愛が報じられたこともあり、一部週刊誌には「広田が久本から吹越を略奪!」といったタイトルが躍ったものである。

 だが、会見で語られたのは、「私は『別れよう、離婚しよう』と話を持ちかけても、彼は『絶対に別れない』と。でも2002年頃に『うん、別れよう』と言われて。ただ、そうは言ったものの、別れたくない。私が離婚を切り出すたびに『いやだ~! 愛してるから~!』って号泣するんです。で、マンションの外で『俺は女房に片思いしているんだ~!』とか叫ぶ。それでズルズルと…」

 吹越のほうが広田にベタ惚れだったというのだが、

「やっと離婚できたんだから『おめでとう』っていってほしい」

 と微笑んだのだった。ただ、迷言は飛び出すも、離婚原因については今ひとつわからずじまい。

 その真相がついに本人の口から語られたのが、2017年8月の「ダウンタウンなう」の人気コーナー「本音でハシゴ酒」だった。

 番組に出演した元夫婦の2人は、吹越のひと目惚れで恋が始まり、酔った勢いで吹越が「適当に婚姻届を書いて役所に提出してしまった」と。

 さらに、最初の離婚に関しては大黒柱としての自覚が足りなかった、という元夫に対し、広田が爆弾発言をカマす。

「(女性問題があったとは)認めてないですよ。大女優さんなんで(相手の名前は)言えない。でももうひとり、長く付き合ってたのがいたよね」

 再婚についても「娘の進学のため」として「愛はあったのか」との質問には「あるわけないじゃないですか」とキッパリ。

 元夫はタジタジだったのだが、広田が最後に語った言葉が、

「ほんとに憎んだ時もあったけど、それを通り越して今、肉親に対する感情と同じものがこの人に対して湧いているんです」

 なるほど。

 やはり、人生はいろいろ、元夫婦の形もいろいろ、なのである。

斉藤慶子 キャンギャルから芸能界へ、次から次へとオトコが現れる「魔性すぎる魅力」の根源とは

                               

 あのキラキラした瞳で見つめられ、ちょっと鼻にかかった声で「そんなことあるわけないじゃないですか~」と言われようものなら、底意地の悪い芸能記者らも、つい突っ込んだ質問を躊躇してしまう。

 それがかつて「魔性の女」として芸能マスコミに次々と話題を振りまいてくれた、斉藤慶子である。

 彼女はJAL沖縄のキャンペーンガールから芸能界入り。

 しかし「某パイロット」に始まったその華麗なる恋の噂は鶴見辰吾石立鉄男田中健江川卓野口五郎神田正輝沖田浩之と枚挙にいとまがなく、当時の芸能マスコミは「女・火野正平」と評した。

 コンプライアンス厳守の現代なら「誰がそんな失礼なこと言ってるんだ!」とバッシングされるであろうニックネームも全く意に返さないモテっぷりを、いかんなく発揮してくれたものである。

 そんな斉藤と「必殺シリーズ」で人気だった京本政樹との熱愛が、一部週刊誌に報じられた。1988年秋のことである。

 だが京本はその年の1月に一般女性と結婚したばかりで、報道が事実なら不倫関係となるわけだ。

 同年9月11日、六本木のテレビ朝日で記者会見を開いた斉藤。

「私は潔白ですからね!」と表明するかのような純白の衣装で報道陣の前に登場すると、やはりキラキラした瞳で、こう語った。

「あの報道には本当にビックリしたし、腹が立ちました。京本さんとはお仕事で何度かご一緒したことはありますし、パーティーの流れで5~6人でお酒を飲みに行ったこともあります。でも、誤解もいいところです。私も年頃だし、結婚もしたいから…困ります」

 むろん京本も「何度か共演はしていますが、デートなどしたことはない」と全面否定。

 当事者が否定するのは当然のことだが、真意はともかくとして、なぜ彼女にはこう次から次へと男性との噂が流れるのか。

 しかもその大半は、番組での共演がきっかけだ。

 その理由を、彼女を知るテレビプロデューサーが明かしてくれた。

「彼女は熊本出身なんですが、芸能界入りしてからも変にスレたところがなく、誰に対してもフレンドリー。ただ、いかんせん、あの美貌とナイスバディですからね。男の方が勝手に誤解してしまうんですよ。だから彼女が本気かどうかは別にしろ、相手の男がソノ気になって燃え上がってしまう、というケースが多いように思いますね」

 斉藤は1997年に12歳上の男性と結婚。

 2008年に離婚後、2011年に再婚しているが、一昨年は「還暦ビキニ」も見せた。

 昨年8月に出演した「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ系)では「運動も料理も嫌いだから、キャベツを1日1個食べた」と独自のダイエット法を明かし、スタジオを沸かせている。

 久々に目にしたその立ち振る舞いに、もはや死語となった「魔性の女」というフレーズが脳裏をよぎったのである。

南野陽子 頑なに拒んだ「離婚」も、セレブ夫の「スキャンダル続発と横領逮捕」で終焉

                              

 どうしたものか、世の中には周りの人間が「あの人だけはやめた方がいいんじゃないの」と口を揃えて反対しても、「ダメよ、あの人には私が必要なの!」とばかりに、なかなか耳を傾けない「ダメンズ」好きな女性がいるものだ。

 むろん本人がそれで満足し、周りに迷惑がかからなければ、それはそれで問題はない。ただ、悲しいかな、そのダメンズが問題を起こすケースが数多くある。

 その結果、女性が痛い目を見ることになってしまうのだ。

 南野陽子の元夫・K氏が静岡県内の社会福祉法人の資金を着服したとして、業務上横領の疑いで逮捕されたのは、昨年11月21日である。

 翌22日、南野は所属事務所を通じて、次のようにコメント。

「ショックです。何故…悲しさ、怒り、情けなさ…いろんな感情が湧いています。どのような事が行われていたのか全くわかりませんが、夫にはきちんと向き合ってほしいと思っています」

 被害を受けた人々に謝罪したが、5日後の11月27日に大きな結論を出すことになる。

「私事ですが、離婚いたしました。お互いに今向き合うべき事から目を背けることなく、今後の人生を歩んでいきたいと思います」

 南野と4歳下のK氏は、2011年3月3日、桃の節句に京都の平安神宮で挙式。

 翌4日に都内で行われた結婚報告会見では、1000万円を超える高級ブランド、ハリー・ウィンストンの4.5カラットのダイヤがちりばめられた婚約指輪を披露し、

「私は晩婚。スケバン(晩)でした」

 自身の代表作「スケバン刑事」にひっかけ、アラフォーにしてつかんだ幸せを、弾けるような笑顔で語ったものである。

 南野いわく、K氏は都内でIT関連会社を営む「剣道に真剣に取り組んできた」男性で、PL学園高校時代には団体戦で全国優勝。私大の体育学部に進んだ剣士、だという。

 ところがそんなK氏と結婚後、すぐに飛び出したのが、金銭トラブルをめぐる報道だった。

週刊新潮」に「南野陽子が挙式した『ITセレブ社長』にプアな家賃滞納」と題する記事を掲載されたと思ったら、「FRIDAY」も「新婚・南野陽子を悩ます『IT社長夫の総計4億8000万円巨額金銭トラブル』という記事で追随。

 その後も銀座のクラブママとの不倫と隠し子報道も出たことで、周囲は南野に「真剣に離婚を考えた方がいいんじゃない」と勧めていた。

 ところが南野は「この人の良さをわかっているのは私だけ」「私が見放したら、この人はきっと立ち直れない。ついていてあげなければ」という「ダメンズ」好き女性に共通する聖母マリア的母性で、離婚に踏み切ることはなかった。

 とはいえ、さすがに仏の顔も三度まで。

 波乱に満ちた12年8カ月に及ぶ結婚生活は、ついに終焉を迎えたのである。