記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

池上季実子 「妊娠4カ月の電撃入籍」が迎えた4年後の結末とは

                                

 NHK大河ドラマ「どうする家康」で有村架純が演じるのは、徳川家康の最初の正妻「瀬名(築山殿)」。

 歴史上、なかなか悪評に満ちた女性だが、昭和58年(1983)の大河「徳川家康」で瀬名役を演じ、大きな話題を呼んだのが、当時24歳の池上季実子だった。

 池上の祖父は梨園の名優だった坂東三津五郎

 高校1年の時にスカウトされ、NHKドラマでデビュー後、同年の東京12チャンネル「純愛山河 愛と誠」のヒロインに抜擢される。同59年(1984)公開の「陽暉楼」では、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞する本格派女優に成長した。

 一方、私生活では俳優や劇作家、有名カメラマンらと恋の噂が取り沙汰されるなど、恋多き女として、なにかと芸能マスコミに話題を振りまいてくれたものである。

 そんな池上が妊娠4カ月で古美術商のA氏と電撃入籍したのは、翌60年(1985)3月だった。

 その結婚会見では、

「情緒不安定な私を、いつもさりげなくリードしてくれて。両親の離婚などがあり、自分はまず幸せな家庭を持ちたいと思ったんです」

 と瞳を輝かせ、語っていたものである。

 しかし、幸せの絶頂からわずか4年後の同63年(1988)11月、2人は協議離婚。翌平成元年(1989)2月19日、池上が離婚していた事実を会見で語ることになるのだから、人生わからないものだ。

 前年の春に離婚を意識し始めたという彼女は、

「(修復することも)考えました。でも、子供(3歳)が感受性の強い時期ですし、私自身(親の離婚を)経験しているので、子供のために早くした方がいいんじゃないかと思って。一生懸命うわべだけを繕ってもダメだろうと、なるべく子供の前でモメないようにしていましたが、昨年5月頃にはもう…。自分が経験した中で、ダメなことはダメなんだろうと」

 そう決意し、離婚届に判を押したのだという。

 とはいえ、一部で報道された夫の不貞については、

「そういうことは絶対にないし、そういうことはないと信じています」

 全面否定しながらも、含みを持たせる言葉を繰り返し、

「友達には『もっと楽に生きれば』と言われたけど、私にはその手段が見つかりませんでした」

 とにかく子供を傷つけないための離婚だったと、強調したのである。

 A氏が経営する南青山の店を訪ねるも、シャッターは締められて留守に。A氏を知る関係者は筆者の取材に、

「彼女は好き嫌いがハッキリした性格で、一度決めたら意思を曲げない。家庭に安らぎはなかったとA氏は言っていましたが、離婚は時間の問題だったかもしれません」

 これはあくまでA氏側の意見なので、真意のほどはわからない。

 ただ、両親の離婚を経て「安らぎのある平和な家庭」に人一倍憧れを持った彼女が子供を守るため、あえて「一人親」として生きる選択をすることになるとは…。

 取材する我々も少し切なくなるような、記者会見だったのである。