記者バカ一代 マル秘取材メモで振り返る、昭和&平成「記者会見」裏面史

号泣!大爆笑!居直り!記者会見に見る、昭和・平成史

秋吉久美子 「17歳下⇒24歳下」外国人男性を渡り歩いた「すっぱだか生活」

                         

 映画「赤ちょうちん」で昭和49年(1974)にデビュー。

「面白くもないのにカメラの前で笑ったり、俳優ってバカみたい」

 と発言するなど、個性派女優として人気だった秋吉久美子が、音楽ディレクターと結婚したのは54年(1979)だ。

 妊娠中にふと漏らした、

「おなかが大きくなるのは嫌、卵で産みたい」

 との明言が話題になったものである。

 その秋吉が、ディレクター氏との10年10カ月に及ぶ結婚生活に終止符を打ったのは、平成元年(1989)12月21日のこと。

 記者会見に臨んだ秋吉は離婚の理由について、

「私のわがままです。彼がいい人すぎて、理解がありすぎるので、私の方が心苦しくなっちゃって…。結局、いつまでも子供でいたかったんです」

 大粒の涙を流しながら、そう説明したのだった。

 とはいえ、自由奔放な彼女がひとりでいられるはずもなく、離婚直後には空間プロデューサーとの同棲が伝えられるなど、まさに恋多き女謳歌していたようだ。

 そんな秋吉が離婚会見から10年目の平成11年(1999)12月、交際を明らかにしたのが、17歳年下のイギリス出身の男性(当時27歳)だった。

 秋吉はこの年の5月に沖縄に移り住み、7月から同棲。

 写真誌が2人の暮らす沖縄本島中部にある貸家を直撃し、同棲が発覚することになったのである。

 秋吉と親しいテレビ関係者は当時、私の取材にこう答えている。

「2人はタイ旅行中に知り合い、意気投合。今年に入って沖縄のコテージで同棲生活を始めたそうなんです。なんでも家の中では『裸族感覚』で生活しているのだとか。つまり、すっぱだかということなんでしょうかね。秋吉は平日はジムに通ったり、スペイン語を勉強したりしているようで、『仕事がある時にだけ、東京に出稼ぎに来るの』と笑っていました。本当に幸せそうでしたよ」

 そんなこともあってか、同年12月1日、連続ドラマの制作発表会見に現れた秋吉は、

「3カ月間、ドラマの収録で東京にいます。愛に犠牲は付きもの。(ドラマの収録があるので)クリスマスは我慢して、2000年を迎える瞬間は(彼と)一緒にいたい」

 とノロケると、

「体力の続く限り、彼と付き合っていこうかな」

 そう付け加えて、会場を沸かせている。

 だからこそ、このイギリス男性と離婚後、50歳で24歳年下の日系アメリカ人と再婚した時には驚かされたものだ。